ポール・エリュアール

    ゲルニカの勝利     

                                         

 ・・・一九三七年四月二十六日、フランコを支援するナチス・ドイツ空軍機の編隊は、バスク地方の小さな町ゲルニカにたいして、波状攻撃による爆撃をくわえた。 町は全焼し全滅した。非戦闘員の全市民のほとんどが犠牲になった。・・・
このゲルニカの悲劇をとおして、ピカソはスペイン人民の死の叫びを聞いた。パリで開かれる万国博覧会のスペイン館を飾る壁画を描くように依頼されていたピカソは、 ゲルニカの悲劇を主題として、ファシストの暴虐にたいする深い怒りを『ゲルニカ』のなかに描く。のちに全世界がみることになるこの傑作こそ『ゲルニカ』である。・・・
ピカソの『ゲルニカ』にあわせて、エリュアールは詩「ゲルニカの勝利」を書く。これらの作品はどちらも念入りな準備や推敲から生まれたものではない。 それは、ゲルニカの悲劇という、スペイン戦争におけるファシストのもっとも残酷な暴力行使にたいする、画家と詩人の意識の奥底からの反発、全身的な反発から生まれたイメージであり 、瞬間写真(スナップ)である。(新日本新書『エリュアール』)