年譜・資料など

わたしのはたちだった頃には

 
   わたしのはたちだった頃には
                         大島博光


あらしの一九三十年代には
世界恐慌の波がおしよせていた
戦争の足音が高まっていた

わたしは早稲田のキャンパスにいた
信州の山のなかから出てきた
夢み好きな文学青年だった
夢のような文学を夢みていた

わたしは 学校のクラブ・ハウスに
「新興文学研究会」を見つけた
華やかなヨーロッパ文学を夢みて
わたしはその扉をたたいた
わたしは驚いた 研究会では
ルナチャルスキーの『政治と文学』を
テクストに 革命が論じられていた
そのときわたしは革命を知らなかった

わたしも多少 本を読んでいたが
革命とか政治とかについて
なにひとつ わたしは知らなかった
わたしにはまだ 意識がなかった

わたしはまださまよっていたのだ
観念のなかを 霧のなかを
現実世界が見えなかった
わたしにはまだ 意識がなかった

この世のなかは階級社会で
階級闘争がそこにある
この世のなかの仕組というものが
わたしにはまだわからなかった

『空想から科学へ』を読んで
わたしの眼からウロコが落ちた
わたしもまた逆立ちしていた
そのことをわたしは思い知った

眼をひらかれたわたしはいつか
学生運動のなかにいた
共産青年同盟のうたや
「憎しみのるつぼ」をうたった

名も知らぬ指導者のもとで
わたしもビラを配りに行った
文化運動の集会にも行った
弾圧には気がつかなかった

わたしは思い出す 上野公園の
自治会館でのP・M *の夜を
植え込みのなかで聞いたハミングの
「インターナショナル」の歌ごえを

また思い出す 読売講堂での
熱気にみちたプロ・キノ**の一夜を
戦闘的なメーデー行進の
映し出されたあのエクラン***を

官憲が隊列のなかから
星を引っこ抜いて しょっぴいていく
観衆は床を踏み鳴らした
「赤旗の歌」が湧きあがった

東京市電の大ストライキで
わたしもビラをまきに行った
夜明け 早稲田の裏通りから
高円寺にあった市電車庫へ

朝早くなど起きたことのない
怠け学生が六時に起きて
心おどる思いで出かけた
その日の朝焼けが忘れられない

下落合のゴム工場にも
わたしはまたビラまきに行った
その帰りにわたしはとっつかまって
戸塚署のブタ箱にぶちこまれた

黒い学生服で どの房も
留置場のなかは溢れていた
留置場の高い小さな窓に
白い梨の花が咲いていた

軍靴の音の高まるなかで
戦争反対を叫んでいた党ー
「日本共産党万才!」と
留置場の壁にも刻まれていた

二十九日のブタ箱子から出てみると
退校処分がわたしを待っていた
多くの仲間の姿もなかった
一札を入れて学校に残った

わたしはそこで脱落したのだ
そのわたしの弱さのひとつは
唯物弁証法をわたしが
まだ身につけていなかったことだ

その頃だ 築地署で 無法にも
小林多喜二が殺されたのは
屍は むごい拷問のために
どす赤黒く ふくれ上っていた

偉大な多喜二よ きみはあばいた
天皇の軍艦によって守られた
日本資本主義のからくりを
蟹工船の労働者たちの反抗を

きみはあばいた 三・一五の
天皇制による 白色テロルの
残酷な拷問・虐殺を
きみを殺した 治安維持法を

また 勇敢な若い詩人たちが
白色テロルにふみにじられた
きみら 不屈にたたかい歌った
今野大力よ 今村恒夫よ

小金井街道の桜並木に
さくらの咲く頃 わたしは想う
二度と帰らぬ 大力の歌を
「車も花あるところを選ぶ」

その頃また 党史にもきざまれた
たたかいたおれた娘たちがいた
伊藤千代子よ 高島満免よ
田中サガヨよ 飯島喜美よ****

党のひかりに 眼を見ひらいた
きみたちは勇敢に差し出した
その青春を 若いいのちを
あけぼのをめざすたたかいに

だが 赤い四つのバラは
天皇の 犬どもの牙に
噛みちぎられて 無残に散った
奇しくも みんな二十四歳

自由のために 人民のために
そのいのちを ささげるほどに
偉大な何が あるだろう
きみたちは その模範となった
・・・

     *

戦争の悪夢の十五年後
絶望と彷徨の十五年後
一九四五年八月十五日
なんと太陽はまぶしかったことか

戦争は終わった 敗北に終わった
「侵略戦争は敗北するだろう」
共産党の見通しの正しさが
いま 歴史のなかで証しだてられた

その予見に わたしは感動した
学生時代が思い出された
党はまたわたしをひきつけた
党にゆくのにそれで充分だった

翌年 雪の降る二月のある日
長野での 党の演説会で
わたしは入党に署名した
わたしはもう三十六歳だった

(注)
*P・M ─ 当時結成された「プロレタリア音楽同盟」の略。当時。「インターナショナル」はその歌詞で歌うことが禁じられていた。
**プロ・キノ ─やはり当時結成された「プロレタリア映画同盟」の略称。
***エクラン─スクリーン
****伊藤千代子たちを歌った部分は『共産党の七十年』に拠って書かれたもので、一九九二年十二月八日付の「赤旗」紙に「こころざしつつたふれし少女たちのバラード」 として発表した詩の一部分である。


               『青年運動』一九九四年十月号