弔 辞      土井大介



 弔 辞                

   大島博光さん、とうとうお別れの日が来ました。先立たれた先はいわゆるあの世。残念です。もう一緒にステーキでワインをのませていただくことも、ジャン卓を囲むこともできません。でも、すでに十年前、あなたは「最後のうた」で、こう歌われました。

 わたしは紡ぐ 最後のうたを
 ひとつまたひとつ 別れのうたを
 糸縒車(いとよりぐるま)は 最後のときへ
 軋んで廻わる 別れのときへ
    *
 老いの地獄を ひとは歌わない
 老いの涙を ひとは語らない
 それは 語るにあたいしないのか
 それとも 語るべきではないのか

 だがそれは だれにもやってくる
 いやでもおうでも いつかやってくる
 それは 越さねばならぬ峠道だ
 死へとむかう最後の港だ

 こう歌いつつ、あなたは故障の多い身体と頑健な精神をかかえ、自らを励ましながら、十年あまりを病床で送り、とぎれなくユニークな詩の筆をふるいつづけました。

 「この世紀 泣いてはならない
 泣くのは なんの役にも立たない」
 このアラゴンの言葉を いまこそ
 思い出したまえ 泣いてる男よ

 こうやって、あなたは自分を叱咤しつづけ、病床でも詩人の任務を忘れませんでした。私が杏林病院に見舞ったときも、新しい時代、新しい日本と世界の詩を語ってやみませんでした。
 思えば十三年前、奥さんの静江さんに先立たれたあとの詩集『老いたるオルフェの歌』の序詩で、あなたはこう歌いました。

 妻を泣いたわたしの歌は
 死にうち勝つ生の歌には
 おそらくほど遠いだろう
 くらべようもなく力弱いだろう

 それでもそれは 死とたたかう
 愛の歌ではありうるだろう

 それでもそれは 死から勝ちとった
 涙のひかる わたしの戦利品なのだ

 それでもそれは 死んだ妻に贈る
 わたしの愛のあかしなのだ

 さらに「きみが地獄の岩に」という詩では、こう歌っています。

 おのれひとりの不幸ばかりにうちひしがれて
 どうして大きな死や不幸とたたかえるだろうか
 ・・・・・・

 そうだ そのとおりだ われもまたふるいたち
 ひとをまたはげますことこそ 詩人の任務だ

 不幸のどん底からさえ 反抗者のように立ち上れ
 きみが倒れたら ほかの人びとがあとを継ぐだろう

 若木が伸び ヒコバエも芽ばえてくるだろう
 新しい風が吹いて 生は死に勝利するだろう

 こうして詩人大島博光、あなたは自分を「老いたるオルフェ」になぞらえて詩編を刻みました。愛する妻を失った危機をのりこえようと、エリュアールらを模範として再起しました。
 亡き妻に向って「わたしの不幸は きみが先に逝って わたしがあとに生き残ったことだ」と嘆いたとき、あなたはすでに八十歳でした。「きみに死なれて わたしは狂ってしまった」とさえ歌いました。光陰矢の如く、かくいう私も今、その年になってしまいました。
 六十八歳で他界された奥さんの「墓碑銘」にあなたはこう書かれました。

 きょうも わたしは書く
 きみの墓碑銘を
 雪のうえに 夕焼けの空に

 くらやみや影や 灰色や黒を拒否して
 太陽にむかって走りつづけた
 楽天主義者 ここに眠る

 あわせて、先を越してこうも書きました。

 ひとりの女とひとりの男 ここに眠る
 果しない愛にいまもなお抱きあって

 こうやって自称「泣き虫の詩人」となったあなたを、もう一人の、日本共産党員詩人たる大島博光、──大島静江の分身となった老詩人は、叱咤鞭励しつづけ、あなたはペンと言葉で十余年を力の限り生きぬきました。青年期、結核を患って生涯病床に親しんだあなたの生が,あと五年でまる一世紀に達する所まで持続されたのは、私には奇蹟だと思われてなりません。
 私は、正直、重く暗い哀悼の気持ちだけで、今あなたを送る気になれずにいます。私の想いは軽率なくらい単純すぎるかもしれませんが、気安めでも縁起かつぎではさらになく、こう思います。今、あなたはとうとう老いたるオルフェとして、エウリュディスのもとへ赴き、古い神話とはちがって、熱い抱擁の中で静江さんの手を握り、顔をみつめあっているにちがいない。静江さん亡きあとの娑婆のあれこれ、とりわけ日本の政治の雲行きや信州の川、上州の山のことなど、積る話を伝えているのではないでしょうか。そんな光景を私は思い浮べています。
 詩人会議創立以来四十四年、いろいろご健闘下さり、お世話になりました。『大島博光全詩集』編集を手伝わせていただいた私ですが、この際申し上げたいのは、一つはこの『全詩集』が、静江夫人の鞭撻応援がなければ成立ちえなかったこと。もう一つは、日本共産党員詩人としての熱い自覚を持続し、それを熱源として詩の筆をふるった詩人大島博光の日本現代詩史に残る成果であったこと。
 大島さん同様 唯物論者の私ですが、もしも人間に冥福というものがあるとすれば、今あなたが静江夫人の膝元で静かに愛の言葉をかわし、この国の現実と開かれるべき未来について語り合っているだろう光景、これ以上の冥福はないと信じます。その未来のため私たち詩人会議の詩人たちは、あなたの大きな詩業のすべてをうけつぎ元気で頑張って行きます。お世話になる一方でお返しも出来ず申し訳ありません。長い間、ご苦労さまでした。どうぞ安らかに奥さんの御許でお休み下さい。

  二〇〇六年一月十二日               土井大助