長野詩人会議からの手紙



 初めてお手紙を差しあげます。
 長野詩人会議の代表をしています小林園子と申します。
 小熊忠二様にご紹介をお願いして、突然、ご連絡をさせて頂きました。
 いま、長野詩人会議が事務所を置いていますところから、ほんの二、三分で千曲川の土手に出ます。そして、その目の先に赤坂橋があります。

    友よ 友よ わたしが死んだら
    灰になった わたしのひとつまみを
    わがふるさとの 赤坂橋の上から
    千曲川の流れに まき散らしてくれ

と、博光先生が書かれた赤坂橋です。
 博光先生が思いうかべた赤坂橋は、昔のゴトゴト音をたてながら渡った木の橋ではないかと思われます。現在は鉄の橋になり、まもなくコンクリートの橋に変わろうとしています。

 博光先生の訃報を新聞紙上に見つけた朝、赤坂橋をわたり、“べんけいワク”のあたりを歩きました。博光先生の声がきこえるような気がしました。

 一月二十八日、長野詩人会議の総会を開き、その席上、博光先生の詩を読みあい、千曲川の見える場所に詩碑を建てたいと話しあいました。

 長野詩人会議は、会員三十名足らず。質の面でも量の面でも博光先生の詩碑を建てるにはあまりにも力のない組織で、先生に申しわけない思いがいたします。でも、やはり、松代にこそ建てたい思いが強くあります。全国の詩人会議の仲間にも呼びかけ、博光先生に学び、先生の後を歩こうとしている人たちの心を集めて建てたいと考えています。  具体的に計画を進める前にご遺族のみな様のご了解をいただきたいと考え、お手紙をさしあげました。

 長野詩人会議機関誌「狼煙」でもこの1年間は「大島博光先生の詩に学ぶ」特集をくんで、再度先生の詩を読みあっていくことにしています。

 三鷹のお宅に長野詩人会議の仲間で数回うかがったことがありました。一度は小熊さんにも同行していただきました。
 先生からいただいたお手紙なども仲間と読みあって、もっと先生から教えていただいておけばよかったと話しあいましたが、くやまれます。

 私たちの願いをどうぞ御了解くださって、詩碑を建てることをお許しくださいますよう、重ねてお願いいたします。

 博光先生は、奥様といっしょに、今は自由に長野の高原を歩かれているような気がしています。

 2006.2.16
               長野詩人会議 代表 小林その
 大島朋光様