「パリ・コミューンの詩人たち」

    ルイズ・ミシェル     

  ルイズ・ミシェル
                アシル・ル・ロワ

コミューンの崩れ去った 最後の日
われらの血が 広い下水溝にあふれたとき
砲火に勇敢だった彼女は ヴェルサイユの
軍事法廷の前でも、毅然として立っていた
はるか遠く 灼熱の海べに流刑されるや
彼女はそこに 友愛の種子を蒔いた
この世でいちばんむごいのは 野蛮人などではない
名誉を ルイズ・ミシェルに 名誉を!


民衆は 飢えて 貧乏のどん底にあえぎ
金持は 民衆の苦しみを尻目に 肥えふとる
場末の町に ストライキは怒りの声をあげ
飢えを訴えて 人びとは黒旗をおし立てる
この合図を見るや 隠れ家から飛び出し
永遠の圧制を 奴隷制を ぶっ倒そうと
駆けつけて 先頭に立ったのは誰だろう?
それもまた彼女 ルイズ・ミシェルなのだ


労働者のために什れた 勇敢な殉難者たちを
労働者たちは忘れずに しっかりと覚(おぼ)えている
かれらは 歴史の壁に 刻み込むであろう
高名な名のなかに 彼女の清らかな名を
ああ 最後の闘いのときよ ついに来たれ
──極悪非道な資本家どもの 最後の日──
おれたちは きみが呻いた忌(いま)わしい壁を
ぶち破るだろう おお ルイズ・ミシェルよ

注
ルイズ・ミシェルは、一八八三年から一八八六年まで三年間投獄された。廃兵院前でおこなわれたストライキのデモに参加し、彼女はアナーキストたちの旗じるしである黒旗をもっていた。社会主義者であるアシル・ル・ロワはアナーキズムには反対であったが、この闘って投獄されたルイズ・ミシェルを、労働者階級の名で擁護し、その名誉を要求しているのである。


 

 コミューンにおいて、もっとも英雄的にたたかった女性のひとりとして、 ルイズ・ミシェルを挙げなければなるまい。彼女こそ、「コミューンの赤い処女」と言われたのであった。
 ルイズ・ミシェルは、一八三〇年、パリの南東、オート・マルヌ県に生まれた。・・・ 彼女は、人民を解放するには、制度を破壊せねばならぬと考え、あらゆる権力に反対する。・・・ コミューンにおける彼女の活動と闘争とは、ユゴーが歌ったように、まさに「男まさり」で不屈なものであった。  バリケードにおける死闘で、彼女は偶然に死をまぬかれた。戦闘が終わると、彼女は、自分の身代わりに捕えられた母親を放免させるために、ヴェルサイユ側にすすんで自首する。軍事法廷に立たされたルイズは、毅然たる態度をとって、ヴェルサイユ政府の虐殺を弾劾し、同志とともに銃殺されることを要求した。 ・・・

 ルイズは、ニューカレドニア島に八年の流刑を科せられる。流刑を終わって故国に帰るや、彼女はふたたびその筆と声をもって闘争を始め、示威運動の先頭に立った。 彼女は、人民からは尊敬され、ブルジョアからは憎悪される象徴的な人物となる。しかし、彼女の政治的思想は、依然として矛盾にみちたものであった。 彼女はふたたび投獄され、一九〇五年、この「コミューンの赤い処女」は、その任務を果たして死んだ。
 詩人アシル・ル・ロワは、つぎのような詩で、ルイズを讃えている。