コミューンにおいて、もっとも英雄的にたたかった女性のひとりとして、 ルイズ・ミシェルを挙げなければなるまい。彼女こそ、「コミューンの赤い処女」と言われたのであった。
ルイズ・ミシェルは、一八三〇年、パリの南東、オート・マルヌ県に生まれた。・・・
彼女は、人民を解放するには、制度を破壊せねばならぬと考え、あらゆる権力に反対する。・・・
コミューンにおける彼女の活動と闘争とは、ユゴーが歌ったように、まさに「男まさり」で不屈なものであった。
バリケードにおける死闘で、彼女は偶然に死をまぬかれた。戦闘が終わると、彼女は、自分の身代わりに捕えられた母親を放免させるために、ヴェルサイユ側にすすんで自首する。軍事法廷に立たされたルイズは、毅然たる態度をとって、ヴェルサイユ政府の虐殺を弾劾し、同志とともに銃殺されることを要求した。
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ルイズは、ニューカレドニア島に八年の流刑を科せられる。流刑を終わって故国に帰るや、彼女はふたたびその筆と声をもって闘争を始め、示威運動の先頭に立った。
彼女は、人民からは尊敬され、ブルジョアからは憎悪される象徴的な人物となる。しかし、彼女の政治的思想は、依然として矛盾にみちたものであった。
彼女はふたたび投獄され、一九〇五年、この「コミューンの赤い処女」は、その任務を果たして死んだ。
詩人アシル・ル・ロワは、つぎのような詩で、ルイズを讃えている。
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