パブロ・ネルーダ

百の愛のソネット  昼 



三三番めのソネット

愛する妻よ さあ おれたちもわが家に帰ろう
蔦(つた)が階段をはいのぼり おまえの部屋の
すいかずらの根もとには 早くも もう
裸の夏が おまえよりも先に 来ている

おれたちの接吻(くちづけ)は 世界じゅうをさまよった	  
掘り出されて ねっとりと滴(したた)る蜜のようなアルメニヤ
緑いろの鳩のようなセイロン むかしながらの
しんぼう強さで 昼と夜とをひき分けている揚子江

妻よ いまこそ 二羽のめくらの鳥のように
ざわめき騒ぐ海を越えて 帰ってゆこう
はるか遠い おれたちの春の巣の方へ 家へ

愛も 停(とど)まって休まずには 飛べないのだから
さあ 海の岩のほとりの わが家に落ちつこう
くちづけも おれたちの領土にもどるのだ

三四番めのソネット

おまえは海の娘だ そうして花薄荷(はなはっか)の
 従姉妹(いとこ)だ
泳ぐおまえの肉体(からだ)は 清らかな水でできている
台所で働くおまえの血は 生ける大地からきている
だから 地上的で花咲くのが おまえの習性(さが)なのだ

おまえの眼は 水を見つめて 波を呼び起し
おまえの手は 大地へ行って 種(ため)を蒔(ま)く
水と土とは おまえの深遠な領地であり
おまえの中で 粘土のように一つになっている

水の精よ おまえはトルコ玉の波を切って進み
やがて 海からもどると 台所に花咲き
そこらのものを おまえの流儀でとりしきる

そしてついにおれの腕に抱かれて おまえは眠る
よく眠れるように おれは暗闇から払いのけてやる
野菜や 海草や 野の草を││おまえの夢の泡を

三五番めのソネット

おまえの手が おれの眼から昼の方へ飛んで行った
すると花の咲いた薔薇の木のような光が射してきた
そうして砂浜と空が きらきら きらめいた
たくさんのトルコ玉にきざまれた 蜜蜂の群のように

おまえの手が触(さわ)ると みんなかちかちと音をたてた
コップだの 黄いろい油のはいった油壷だの
花冠だの 泉だの それからとりわけ愛などが│
清らかなおまえの手は スプーンをいたわった

夕ぐれが去って そっと 夜がやってきて
眠りこむ男の上に 天のカプセルをかぶせた
すいかずらが もの悲しい野の匂いを放っていた

そのときだ もう失くしちまったと思い込んでいた
おまえの手が 小鳥のように飛んできて羽根を閉じたのは
暗闇に呑みこまれてしまった おれの眼の上で

三六番めのソネット

愛するひとよ セロリとこね鉢の女王さんよ	
糸をからめ 玉葱(たまねぎ	)をきざむ かわいい牝豹(めひょう)さん
おれはおまえの 輝く小さな王国を見るのが好きだ
武器庫には蝋がある 油がある ぶどう酒がある

にんにくがある おまえの手のきり開いた土地がある
おまえの手が火でいためた 青いものがある
夜の夢は サラダのなかに 生れかわり
蛇のように とぐろを巻いたホースがある

おまえは剪定鋏(せんていばさみ)で 香りを掻きたてる
おまえはまた シャボンを溶いて 泡だてて
ものすごい階段や梯子を磨きながら よじのぼる

そうして おれの書いた筆蹟をしらべてまわり
手帳の砂のなかから おまえは見つけ出すのだ
おまえのくちびるを求める 乱れた文字を

三七番めのソネット

おお 狂おしいまぶしさよ おお 朱(あか)い脅迫者よ
おまえは 涼しい階段を昇って 会いにきた 
天気がわるくて 霧につつまれた おれの城に
蒼ざめた壁の中に閉じこめられた おれの心に

だが だれも知らぬだろう その優しさが
ただ 都市のように堅い水晶で できていたことを
そして血が 不幸なトンネルをおしひらいたことを
彼女の王国が 冬にうち勝てなかったとはいえ

だから 恋びとよ おまえの口 おまえの肌
おまえの光 おまえの苦労は 生きた財産なのだ
雨や自然の与える 聖なる贈り物なのだ

自然はすべてを受け入れ 穀粒をみのらせる
酒倉の中の葡萄酒の ひそかな発酵をうながし
麦のたぐいを 炎のように 地上に燃えたたせる

三八番めのソネット

正午 おまえの家は騒騒しい まるで列車のように
シチュ鍋が歌をうたい 雀蜂が唸(うな)りをあげる
滝は流れ落ちて 露の所業をかぞえあげる
おまえは笑いさざめく 風に顛(ふる)える棕櫚(しゅろ)のように

壁のうえの青いひかりは 石と世間話をかわし
羊飼いのように口笛を吹きながら 電報がとどく
そして緑の声でささやく二本の無花果(いちじく)のあいだを
ホメロスが 神秘めかした靴をはいて昇ってくる

ここには 町の声も 涙声も きこえて来ない
無限も ソナタも 唇も ラッパも きこえない 
聞えるのは 滝と獅子(ライオン)たちの演説ばかりだ

おまえは階段を昇り 歌い 走り 歩き 降りる
植え 縫い 料理し 書き 釘をうち もどる
おまえが外出すれば たちまち冬が始まるのだ

三九番めのソネット

ところで おれは忘れていた おまえの手が
ばらの茂みに水をやり ばらの根をよろこばせ
ついに自然の 溢れるばかりの平和のなかで
おまえの苦労の跡が 花咲いたということを

まるでお気に入りの犬のように 鍬と水とが
おまえのお供をして 土を砕いたり うるおしたり
そんな おまえの働きから 生れでるのだ
すがすがしく 豊かに茂る カーネーションが

土のなかに 透きとおった根株を植えこんで
おれの心をも耕してくれた おまえの手の上に
ねがわくば 蜜蜂の名誉と愛とのあるように

だから おれは おまえと一緒になると
たちまち 焼け石のように 歌いだすのだ
おまえの声のはこんでくる 森の水を浴びて

四〇番めのソネット

静けさまでが緑に染まり 陽(ひ)のひかりも濡れて
六月は まるで蝶のように 顛えていた
ま昼 この南極の地方を 海と岩の浜べから
おまえは よぎって行った マチルデよ

おまえが背負って行ったのは 鉄分にみちた花束だ 
南風にいためつけられ 忘れさられた昆布(こんぶ)だ
そして 刺すような塩にひび割れた まだ白い
その手で おまえは 砂の穂をかきたてた

おれは愛する おまえのもって生れたその清らかさを
汚れのない石の肌 おまえの指が太陽にさし出す
その爪 愉(たの)しみの溢れこぼれる その口を

だが 海のほとりのわが家には 与えておくれ
堪えられないような ふかい沈黙の世界を
砂のうえに 忘れさられた 海べの四阿(あずまや)を

四一番めのソネット

ひややかな正午(まひる)が ちょうどの空のま上に
でんと居すわった時の 一月の日のきびしさ
グラスに溢れる酒のような 冷たい金色が
青い空の果てまで 大地をみたし染めている

この季節のきびしさは 緑いろの苦味(にがみ)のなかに
そっと身をよせあう 若い葡萄(ぶどう)の実にも似ている
かれらは混乱し 日日の涙をそっとかくし
嵐をくぐり抜け ついにその房をあらわにするのだ

きみたち 苦しみに耐える 木の芽たち
きらめく一月の光に 恐れおののく きみたち
葡萄の実が輝くように 君たちも熟(う)れて輝くだろう

おれたちも その苦しみを わかちあおう
うち叩く風に 魂をさらしてやろう しかし
食卓には新鮮なパンを置き 住居は掃き清めておこう

四二番めのソネット

おお 海の波にゆすられる まぶしい陽射しよ
黄色い宝石の内部のように ぎらぎらと輝く
その蜜いろのひかりは 混雑にも消されずに
直角に直射する その純粋さを保っていた

時間(とき)が 蜜蜂の群や炎のように 音をたてる
緑を求めて 茂みのなかに もぐりこまねばならぬ
高い梢に きらめき かがやく 茂みの
その輝きが消えて 葉むれが風にささやくまで

火のような渇きよ 焼けつくような夏の群衆よ
ほんのわずかばかりの 茂みがつくる 楽園よ
暗い顔をした大地は もう苦しみたくはないのだ

すべてのひとびとに 水とパンを 涼しさと火を
そして何ものも ひとびとの間をひき裂かぬように
太陽も 夜も 月も 穂も 何ものも││


   縦書き by Nehan                    [ トップページへ戻る]  [ 表紙] [ 戻る]  [ 次へ]