パブロ・ネルーダ

百の愛のソネット 夕(五十四番めのソネット〜六十番めのソネット ) 



 五四番めのソネット

絶対の房 垂直的な正午(まひる)の 輝かしい理性よ    
明るく澄んだ魔(デモニオ)よ おれたちは ついに
二人きりになって もう 孤独ではない
荒涼とした 狂気の町から 遠く離れて

純粋な線が 鳩のすがたを とりかこみ
火が その食糧(かて)で 平和を飾りたてるとき
おまえとおれとは この天の成果をうち建てる
裸の理性と愛とが この家に住むのだ

いままでは 気違いじみた妄想や にがい確信や
金槌(かなづち)の夢よりも もっともっと堅い決意などが
恋びとたち 二人の頭上に 落っこちたものだ

ついに 理性と愛とが 二つの翼のように 
双子(ふたご)のように 秤(はかり)のうえで つりあうまでは││
こうして 透きとおった愛が うち建てられたのだ

 五五番めのソネット

棘(とげ)や 割れたグラスや 病気や 涙などが
昼となく夜となく 幸福の蜜を狙っている
塔も 飛行も 壁も なんの役にもたたぬ
不幸は忍びこむのだ 安らかにひとの眠ってる間(ま)に

苦悩(くるしみ)が満ちたり引いたり││たも網を近づけてくる
この揺れうごく苦悩から だれも逃れられぬ
どんな屋根も 垣根も どんな家柄(うまれ)も 役立たぬ
これこそ 誰もが背負わならぬ人生のしるしだ

愛の傷ぐちが膿(う)み破れて ひどい臭いを放つとき
眼を閉じようと 深い寝床に横たわろうと むだだ
一歩また一歩と 傷ぐちを克服してゆくほかはない
	 
人生もまた コレラのように染(うつ)りやすく 川のように流れる
血なまぐさいトンネルが口を開けていて そこから
もろもろの苦悩の眼が じっとおれたちをうかがっているのだ

 五六番めのソネット

いつもおれの背後(うしろ)に 影を見ることに慣(な)れて
おまえの手は 苦悩(くるしみ)から脱けでるがいい
朝がたの海の 森羅万象のように すがすがしく
塩はおまえに 水晶の性(さが)を与えたのだ 恋びとよ

嫉妬はもがき 苦しみ おれの歌とともに消える
その哀れな船長たちは 一人また一人 息絶える
おれが愛を歌えば 世界は鳩でいっぱいになり
おれのことばの一つ一つが この世に春を運ぶのだ

そのとき おまえ 愛する花よ おれの心臓よ
おまえは おれの眼の上の 空の茂みさながら
しかもおれは 地上に横たわるおまえを見る

おまえの顔のうえには 太陽の房がかがよい
空を見ながら おれはおまえの足どりを知る
ようこそ おれの王冠(デイオデマ)よ 愛するマチルデよ

 五七番めのソネット

かれらは おれがもう月を失(な)くしたと言いふらし
おれには砂の未来しかないと言って 嘘をつく
かれらはまた この世の花を歌うことを禁じると
どれほどその冷たい舌で言い放ったことか

「かれはもう 蜂起をあおるシレーナ*の歌など
歌わぬだろう かれの手には一つの村しかない」と
かれらは その永遠の新聞紙にくどくどと書き
おれのギターについては 忘れるようにと訴える

そこでおれは かれらの眼に投げつけてやった
おれたち二人の愛の まばゆいばかりの槍先を
おれは おまえの足跡に落ちたジャスミンをもとめ

おまえの瞼(まぶた)の下の 暗い夜のなかに紛(まぎ)れこみ
新しい光がおれを包んだ時 おれは新たに
おれ自身の暗闇の支配者に 生れ変ったのだ

 五八番めのソネット

文学の烙印を押す 御用批評家たちの間では
おれは 田舎者の舟乗りで 通っているのだ
街角も知らない者に どうして歌えるものか	
歌ったとしても ただそれだけのことだというのだ

くさされた群島*よ おれは今もちゃんと身につけている
おまえの横なぐりの雨や 暴風や おれのアコーデオンを
自然なものごとの ゆっくりとした風習(ならわし)や
わが野性の心をはぐくんでくれたすべてのものを

だから 文学の歯が 正直なおれのかかとを
噛み砕こうとした時にも おれは知らず知らずに
風のなかを歌いながら 歩いて行ったのだ

おれの少年時代の 雨に濡れた納屋の方へ
あの言語に絶する「南部」の 寒い森の方へ
おれの生活が おまえの匂いでいっぱいになった処へ

 五九番めのソネット

哀れな詩人たち 生と死とが おなじ暗い影で
しつように かれらのあとにつきまとっていた
かれらはいまや ひややかな盛装に身をつつみ
盛大な儀式に 葬式の歯に 身をゆだねている

いまやかれらは││石ころのように賎(いや)しく
華やかな馬どものあとに ぞろぞろとつづいて
ついには 鎮入者(ちんにゅうしゃ)どもの言いなりに 誘導されて
副官たちの間に 落ちつかぬ眠りを眠りにゆく

副官たちはもう 死者は死んだと 思い込んで
葬儀を みじめなお祭り騒ぎへと 変えるのだ
七面鳥や 豚や ほかの追悼演説家たちとともに

かれらは かれの死をねらって 恥かしめた
それはただ かれが口を閉ざして もう二度と
かれの歌で 答えることができないからだ

 六〇番めのソネット

彼らはおれをおとしいれようとして おまえを傷つけた
そうして おれにつきつけられた 毒の一撃は
おれの痛み苦しみの網目から洩れて こぼれて
おまえの中に 錆(さび)となり 不眠の痣(あざ)となって残った

おれを狙(ねら)った憎しみが うつくしい月のような
おまえの額の上をよぎるのを おれは見たくない		  
またかれらの恨(うら)みが むだな匕首(あいくち)の冠(かんむり)*となって
おまえの夢の中に置きざりになってほしくないのだ

おれの行くところ 苦い足音があとからついてくる
おれが笑えば 怖るべき笑いが おれのまねをする
おれが歌えば 羨(ねた)みが毒づき あざ笑い 噛みついてくる

これが 愛するひとよ 人生がおれに与えた影なのだ
このうつろな衣装は びっこをひきながら ついてくる
血まみれの うすら笑いを浮かべた 案山子(かかし)のように



   縦書き by Nehan                [ トップページへ戻る]  [ 表紙] [ 戻る]  [ 次へ]