はしがき  


  

 ことしは、ちょうど、パリ・コミューンの百周年にあたる。
 わたしの本棚に"Les Poetes de la Commune"(コミューンの詩人たち)(一九五一年刊)という詞華集が、 もうながいこと、ほこりをかぶって眠っていた。 パリ・コミューンの感慨にさそわれて、わたしはこの詞華集を読んでみた。読んでみて、わたしは感動した。 そこには、パリ・コミューンにおける「天をも衝く」(マルクス)パリ労働者の歌ごえが、高らかに鳴りひびいていたからである。 世界最初のプロレタリア革命の火の手をあげたパリ・コミューンは、それにふさわしい、すばらしい、多くの詩人たちをもっていたのである。 われわれがこんにち、プロレタリア詩、政治詩、あるいは状況の詩などと呼んでいるところのものが、 すでに百年前、コミューンの詩人たちによって書かれ、パリ市民たちによって街々やクラブで朗読され、また歌われていたのである。 百年前─つまり明治四年といえば、わが日本の明治政府がようやく発足したばかりのころだったことを思えば、それはわたしにとって驚嘆にあたいするものであった。 これが、この本が書かれることになった動機のひとつである。
 ・・・
 ブルジョアジーはまたそのフランス文学史から、ポティエ、クレマン、ユグなどのコミューンの詩人たちを抹消している。 ユゴーやランボオがその文学史に組み入れられているとはいえ、そこには歪曲と過小評価とがつきまとっている。 コミューンを讃え、その敵ヴェルサイユ派に嫌悪と罵倒を送ったランボオの姿は、数々の神話によって蔽いかくされており、 ランボオの詩が、コミューンの時代の現実の光のもとで書かれたことは、忘却と無関心のなかに追いやられている。 しかし、ランボオという神話を、真実の光で照らしだすのは、パリ・コミューンという歴史的大事件にほかならないであろう。
 この本は、当時の詩人たちが、どのようにコミューンを歌い、コミューンを反映し、また詩やシャンソンをもって、 どのようにコミューンのためにたたかったか、を見ようとしたものである。 そして詩人たちによる文学的反映が、逆にパリ・コミューンの新しい性格・特徴をも解き明かしてくれるだろう。

   一九七一年九月                   大島博光